だしの研究12

『身近な調味料をもっとよく知り、おいしく使おう!』

「食のラボラトリー」は、普段からおなじみの食材や調味料をもっとよく知り、おいしい使い方を研究しようという思いから始まりました。その第1弾が“塩の研究会”。
塩そのものの味を比較したリ、調理してみると、新しい発見がいっぱいありました。
そこで、今年は塩に続き、さまざまな調味料を研究することにし、砂糖、みりん、甘味料、料理酒、酢などの身近な調味料を改めて見直し、比較研究をしてきました。
そして、昨年11月からは「だし」をとりあげています。

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だしの研究⑫
「だし」の研究の12回目。かつお節や昆布などの単体のだし、合わせだし…その他の研究や味比較をしてきましたが、今回のテーマは、先月に続き「魚醤」です。

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左から、コラトゥーラ(私物)、いしる(648円)、いしり(432円)

◉古代ローマきっての美食家、アピキウス
魚醤は魚貝類に、それらの内臓や塩(塩水)、麹を加えて発酵させ、魚貝類に含まれる酵素の分解作用によってつくられた調味料です。

マルクス・ガヴィウス・アピキウス(Marcus Gabius Apicius)は、古代ローマの食文化を語る際には欠かせない人物です。残念ながら正確な史料はいまだ見あたりませんが、一説によると生誕はAD25年、古代ローマの皇帝ティベリウスの時代に活躍したといわれています。
大変裕福な家に生まれた彼は、子供のころからひたすらおいしいものを食べて暮らしました。大人になると食べるだけでは飽き足らず、好んで市場を巡り、自分で食材を見て選びました。さらに、台所番の奴隷たちに混じって料理を覚え、腕を磨きました。
やがて、希代の美食家、料理人としてその名を知られるようになり、おいしい料理や珍しい食材(EX.ナイチンゲール(鳥)の舌、ラクダのかかと)があると聞けば、それを求めてローマ中はおろか、遠い外国まで出かけて行ったといわれています。

◉料理家としてレシピを作り、料理学校も開設
あらゆる食材や料理に精通したアピキウスは、のちにそれらを人々に教えるため、料理学校を開設しました。また、世界で最初に料理レシピを作ったともいわれており、今でいう料理研究家の草分けともいえるでしょう。
その後も彼は、おいしいもののためなら湯水のごとくお金を使い、常に新しい食材や味の追求に余念がありませんでした。また、日ごろからお金に糸目をつけず、ごちそうで友人たちをもてなし、趣味人としても楽しく暮らしたアピキウス。
食べ物に費やした金額は、実に、皇帝が市民25万人に与えるボーナスと同じくらい巨額だったといわれています。
が、あまりに浪費が過ぎたため、あるとき気づけば破産寸前に。それを知ったアピキウスは、お腹が減って死ぬ怖さを悲観し、服毒自殺してしまったとか。

最古の料理本、アピキウスの料理帖
『De re coquinario』を直訳すれば“調理法”で、全部で10冊からなるアピキウスの料理集です。作られたのはアピキウスの時代よりずっとあとで、一説では4世紀ごろ編集されたようです。
この本には、アピキウス本人のオリジナルレシピ以外にも、アピキウスのレシピに加筆・修正が加えられたものや、その後に活躍した数人の料理家のレシピも含まれているとされ、
膨大な数の料理メモを解読したのち、編集したものといわれています。さらにこれらが印刷され、本という形で刊行されたのは1500年前後と考えられています。
本の内容は、フラミンゴのロースト、詰め物をしたオオヤマネのローストといった珍しい料理からデザートまで、各種の肉、野菜、魚介類を使ったレシピが掲載。
多種類のソースの説明や作り方。古代の調味料「ガルム」の話やその作り方。各種ハーブの解説。あるいは「熱灰をかぶせて蒸し焼きする」といった調理法や調理器具の説明。
「カキは酢で洗って保存する」といった食材の保存法もあれば、「豚には干しイチジクを与え、そのレバーを肥育させよ」(=フォアグラ)の作り方に至るまで、食に関するさまざまな情報が網羅されています。
これらを見ると、古代ローマがいかに豊かな食文化をもち、さまざまな食材をどうすればおいしくなるか、工夫をこらして調理していたかがわかります。

◎古代の万能調味料「ガルム(garum)」
古代ローマで使われていた調味料で、サバやマグロ、カツオ、ウナギ、タイなどの魚の内臓を細切れにして塩水に漬け、発酵させて作っていたようです。
日本の「しょっつる」や「いしる」、タイの「ナンプラー」、ベトナムの「ヌクマム」などと同じ“魚醤”の仲間。アピキウスの料理帖に掲載されているほとんどの料理には「ガルム」が使われており、
この時代には欠かせない調味料だったことがわかります。
とはいえ、上澄みの液体部分は富裕層向けの高級品で、高級な香水と同じくらいの価格で取り引きされていました。
貧しい人々はというと、もっぱら上澄み液を取り出した後の固形物を含んだ部分を、主食のプルス(粥)などに混ぜて使っていたようです。
「ガルム」は料理に使う以外にも、下痢や便秘を改善したり、赤痢や潰瘍まで効く薬とされていたようで、薄めた液をそのまま飲んだとか。
しかし、「ガルム」はローマ帝国の滅亡とともに途絶えてしまい、長い間、魚醤そのものがヨーロッパで作られなくなっていました。

◎絶滅した「ガルム」が、のちに「コラトゥーラ」で復活
「ガルム」は一度絶滅しましたが、13世紀になって南イタリアのアマルフィ海岸チェターラ(CETARA)で復興されたのが、「ガルム」の流れをひく魚醤「コラトゥーラ(・ディ・アリーチ)」です。
「ガルム」がさまざまな魚を使い、内臓も頭も残して漬け込んだのに対し、復興した「コラトゥーラ」は、使用する魚はアリーチ(カタクチイワシ)のみ、内臓と頭は取り除いてから漬け込んでいます。
参考資料:Apicius, Cookery and Dining in Imperial Rome: A Bibliography, Critical Review and Translation of the Ancient Book Known as ‘Apicius de re Coquinaria’, trans. into English and ed. by Joseph Dommers Vehling, with introd. by Frederick Starr (Chicago, IL: Walter M. Hill, 1936; repr. New York: Dover, 1977) 、アピキウス『古代ローマの調理ノート』千石玲子 訳 (小学館)、上田和子『おいしい古代ローマ物語—アピキウスの料理帖』(原書房) 、Wikipedia

<「魚醤」を使った料理づくり>
「魚醤」を使った料理を作り、みんなでいただきました。今回使った魚醤は、イタリア・チェターラ産のコラトゥーラ(写真左)です。

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◎ズッパ・アンティカ・ポンペイ(古代ポンペイのスープ)/秋元作 

「ファロ(古代小麦)と青魚が入り、コラトゥーラで味つけしたスープ。現在、コラトゥーラが作られているイタリアの小さな漁村チェターラには、このスープを出す店があるようですが、レシピまではわかりませんでした。そこで、いくつかのイタリアの書籍を調べたところ、唯一「Dizionanario delle cucine regionali  italiane(イタリア地方料理事典)Slow Food Editore 2008 」に記載されていましたので、そのレシピ(ズッパ・アンティカ・ポンペイ)を参考にすることにしました。レシピの材料表には、“青魚”が出てきます。古代は、おそらく生の青魚をそのまま加えたものと思われますが、今回は、三枚おろしのいわしをオリーブオイルで焼き、それを使うことにしました」

ファロは塩少々加えた熱湯に入れ20分ゆで、プチプチになったらザルに上げておく。フライパンにオリーブオイル、にんにく、赤唐辛子を入れて弱火で熱し、香りが移ったらいわし(三枚おろし)を入れて炒め、粗くつぶす。
水、オレガノ、ローリエ、コラトゥーラ、パプリカ(8mm角)を加えて煮る。

もともとは、古代ローマの時代に使われていた調味料ガルム。これを復活させた調味料がコラトゥーラですが、ガルムと比べると、いわしの頭や内臓を入れない分、すっきり上品な味に仕上がったのではないでしょうか。
具材も味つけもシンプルですが、素朴でおいしいスープになりました。

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◎いわしのシチリア風パスタ/秋元作 
「本来は、アンチョビを使うパスタですが、その代わりにコラトゥーラで味付けしました。また、シチリアでは太い穴あきパスタ“ブカティーニ”を用いることが多いのですが、手に入りにくいので、今回は太めのスパゲッティを用いました」

松の実は低温(140℃)でローストし、サフラン、レーズンはそれぞれ水で戻し、パン粉はオリーブオイル少々で、軽く色づく程度に炒めておく。
いわし(三枚おろし)は塩、こしょうし、先にオリーブオイルで焼きつけておく。オリーブオイル、にんにく(みじん切り)を弱火で温め、にんにくの香りがオイルに移ったら、玉ねぎ(薄切り)を加えて炒める。
ここに先のいわしを加え、粗くつぶしながら炒める。松の実とレーズン、白ワインを加え、ゆで上げたパスタを加え、ういきょう(なければ、セロリの葉)、ディル、サフランを加え、コラトゥーラを加えて味を調える。器に盛り、炒ったパン粉をふりかける。

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◎たことセロリのコラトゥーラ炒め/秋元作 
「こちらも非常にシンプルな炒め物。イタリアでは、たこといえばセロリと組み合わせるのが一般的なので、これらをコラトゥーラで味つけしてみましょう」

ゆでたタコとセロリ(ともに薄切り)は先にコラトゥーラ少々であえ、冷蔵庫で1~2時間おき、味をしみこませておく(ジップ付き保存袋に入れ、空気を抜いておくと、均一に味がまわる)。その後、オリーブオイル、塩、こしょうを加え、マリネする。

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“だしの研究”の12回目。今回はイタリアの「魚醤」をとりあげ、それを使った料理を作りました。それにしても、魚醤が古代ローマ時代からあったというのは驚きでした。
しかも、当時はほとんどの料理が塩か魚醤で味つけしていたともいわれています。
当時の魚醤は「ガルム」。今回の料理に用いた「コラトゥーラ」の原型になった魚醤です。また、おなじみの「アンチョビ」もガルムがもとになった食材です。
今回作ってみた『古代ポンペイのスープ』も、パスタや炒め物も、シンプルな食材をひきたてているのは、熟成された自然のうまみ(だし)なのだと、改めてそう思いました。